マイコプラズマ肺炎になったのは・・・
私は中学3年生の時にマイコプラズマ肺炎に罹患して2週間ほど自宅療養したことがあります。
その時は40度近い高熱が出て翌日受診するまでの一晩は、「もうダメかもしれない、明日無事に目が覚めることを願う」という感じだった。
やはり呼吸状態が悪化すると死の淵を彷徨うような状態になるのだということを、この時知った。
先日、かかりつけ医のところで健康診断で受けた胸部のX線検査の結果説明を受けた。
今まで健診などで全く指摘を受けることがなかった古い痕跡ともいえる所見について問診を受けた。
肺疾患にかかったことは記憶上、今流行っているマイコプラズマ肺炎くらいで他に思い当たることはないと感じた。
けれど、わずかな記憶から一つ・・・
古い胸の影とは?
肺尖部といわれる肺の上側のところに、なんとなく古い影があるという。
医師は「昔に何か肺の病気にかかったことは?」と質問し、私は微かな記憶を辿ってみる。
同居はしていないけれど、我が家で療養していた父方祖父が脊椎カリエスで亡くなったという説明を両親から聞いたことがある。この疾患は結核がもとで発症したらしい病気だけれど、乳幼児期に私はおじいちゃんにとても可愛がってもらっていたという。私が3歳頃には祖父は亡くなっているので、はっきりとした記憶ではないけれど病院にお見舞いにいったような映像が浮かぶ。
私は病院の消毒液の匂いを嗅ぐと、なぜか心が落ち着く。
保健師という看護職に魅力を感じたのもそのせいかもしれない。
0〜3歳くらいまで、祖父との接触によって私は一時期、ツベルクリン反応が大きく発赤していたのではないだろうか。そんな感じのぼんやりした記憶ならある。
医学的な所見としては還暦間近の私にとって眠り続けている肺の痕跡は、何も問題にはならないけれど今回、「私の身体は脈々とご先祖さまから受け継いだもので、遺伝子とは関係ない病変とはいっても共通する繋がりを感じる」
今、闘病生活を繰り返していたであろう祖父の温もりさえ感じる。
霊的な感覚には乏しい私だけれど夫は言う。
「大変なことがあっても、いつも大丈夫ということになるのは、そのおじいちゃんがあなたの守護霊的なものかもね」
非科学的ではあるけれど、なんだか説得力のある言葉。
今は亡き、父と母にもっと聞いておけばよかったということもある。
保健師としては濃厚接触の度合いや接触感染後の検診実施の様子と結果について把握すべきだったかもしれない。けれど、なんの問題もなく元気に過ごせていることに感謝するのみであるのは間違いない。
私のかかりつけ医はとても優秀な医師であることを再確認した。
見逃してしまいそうな小さな歴史、それも愛おしいと思わせるような痕跡を発見してくれたからだ。
この身体を、受け継いだ心を大切に、健康に留意して過ごさねばならないと改めて思う。
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